2009年12月11日

塹壕に篭る歩兵にとっての脅威は

塹壕に篭る歩兵にとっての脅威は、塹壕内で砲弾や手榴弾が爆発した場合に飛散する破片や石である。これらの被害を最小限に食い止めるために、塹壕をジグザグに掘ったり、投げ込まれた手榴弾を処理するための穴や溝が塹壕内に設けられた。なお、手榴弾の威力は爆散する破片による負傷が主であり、数十センチから1メートル程度の穴に落とし込めば、周囲の人間が負傷することは無いとされている。

第一次世界大戦では、両軍とも敵に背後に回りこまれないよう両翼に向けて塹壕を掘り進めて行くうちに、スイス国境からイギリス海峡まで塹壕が到達した。塹壕の壁面は、砲撃による振動で崩れないよう木材などで補強された。また、地下水に対応するため、底部には排水用の溝が掘られ、通路面に木製の橋のような通路が設けられた。

それでも、降雨などの増水時には、兵士たちは汚物まみれのぬかるんだ泥に足を突っ込んだまま、いつ攻めて来るか判らない相手を待ち続けなければならなかった。このような特殊な環境によって、伝染病は元より、塹壕口内炎や塹壕足(重篤な水虫や凍傷によって循環器系障害を起こし、酷い場合は足を切断した)などの病気も発生した。特に寒冷地においてはその被害は甚大なものとなり、戦後復興に大きな影を落とした。
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大規模な塹壕戦が展開された日露戦争では塹壕に潜む敵兵を殺傷する手段として小型爆弾を塹壕に投げ込む戦法がとられ即席手榴弾が使用された。 さらに遠距離の塹壕へ爆弾を投げ込むために日露双方で迫撃砲が作られた。迫撃砲を英語でトレンチ・モーター(塹壕臼砲)と呼ぶようになったのは塹壕戦で使用されたことに由来する。

第一次世界大戦では、防御側の塹壕をいかに突破するかという戦術に両軍とも頭を悩ませた。

2009年11月30日

喫煙

喫煙(きつえん)とは、一般的にタバコを吸引する事を指す。植物を乾燥・発酵などの工程を経て加工した物に火をつけて、その煙を吸引する行為を喫煙と呼ぶ。タバコ・覚醒剤・麻薬・大麻などの喫煙がなされるが、ここでは主にタバコの喫煙について記述する。
タバコ喫煙の起源は紀元前10世紀の頃・地域はマヤ文明とされ、古くからアメリカ先住民の間に喫煙の習慣が広まっていた。大航海時代の到来と共にヨーロッパに伝播し、様々な薬効があると信じられたことと強力な依存形成作用があいまって100年間という15?16世紀当時としては異例な速度で全世界に広まった。そのため、世界で「tobacco」「tabaco」などとほぼ同じ名前がついている。ヨーロッパ・アジア地域においても、大麻などの喫煙習慣があったとされるが、起源は明らかでない。 葉巻、パイプなど様々な喫煙方法が考案され普及しており、今日世界的にもっともポピュラーな喫煙方法は安価で手軽な紙巻きタバコ(シガレット)である。 21世紀初頭の世界の喫煙人口は約13億人でやや増加傾向にあるが、その多くは発展途上国による需要であり、主要先進国を始めとした主な地域では減少している。
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医学的観点からは喫煙は“喫煙病(依存症+喫煙関連疾患)”という全身疾患であり、喫煙者は“患者”とされる。世界保健機関は、喫煙を原因とする病気による死亡者数は世界で年間推定約500万人以上と発表している。

一方、こうした世界保健機関等の調査研究に批判もある。
とりわけ、過剰な禁煙運動に導かれた統計的数字などは、ランダムサンプリングといったデータ抽出法の形式をとりながら、データを恣意的に操作している場合もあるとの批判もある。

喫煙習慣の有害性が明らかになった近年では、学会や行政の啓発活動によって、欧米での喫煙率は概ね低下しており、社会的に分煙または受動喫煙防止の運動も見られる。現在140ヶ国以上が、煙草消費の削減を目的とした煙草広告・販売への規制を実施している。

2009年11月26日

酒の分類

酒は大きく分けて醸造酒・蒸留酒・混成酒に分かれる。醸造酒は単発酵酒と複発酵酒に分けられ、複発酵酒は単行複発酵酒と並行複発酵酒に分けられる。

醸造酒:原料をそのまま、もしくは原料を糖化させたものを発酵させた酒。
単発酵酒:原料中に糖分が含まれており、直接発酵するもの。
複発酵酒:穀物などデンプン質のものを原料とし、糖化の過程があるもの。
単行複発酵酒:糖化の過程が終わってからアルコール発酵が行われるもの。ビールなど。
並行複発酵酒:糖化とアルコール発酵が同時に行われるもの。清酒など。
蒸留酒:醸造酒を蒸留し、アルコール分を高めた酒。
混成酒:酒(蒸留酒が主に使われる)に他の原料の香り・味をつけ、糖分や色素を加えて造った酒。
蒸留酒のうち、樽熟成を行わないものをホワイトスピリッツ、何年かの樽熟成で着色したものをブラウンスピリッツとする分類法がある。ただし、テキーラ、ラム、アクアヴィットなどではホワイトスピリッツとブラウンスピリッツの両方の製品があり、分類としては本質的なものではない。
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糖分、もしくは糖分に転化されうるデンプン分があるものは、酒の原料になりうる。脂肪分やタンパク質分が多いもの(たとえば大豆などの豆類)はあまり向かない。

ブドウ、リンゴ、サクランボ、ヤシの実などの果実。米、麦、トウモロコシなどの穀物。ジャガイモ、サツマイモなどの根菜類。その他サトウキビなどが代表的な原料である。また酒造の副産物として得られる酒粕・ブドウの絞りかすなどから、二次的に酒を造り出すこともある。クリなどの堅果類、樹液や乳、蜂蜜を原料とした酒もある。

2009年11月13日

外債

外債(がいさい)とは、外国債(がいこくさい)と呼ばれ、債務の設定が自国以外で行われた債券(国債・公債・社債)の総称である。

外債は通常は債券引受先の通貨単位で額面を表示する外貨債(がいかさい)という形式を取るが、稀に債券発行元の所属する国家の通貨単位によって額面を表示する。内貨債(ないかさい)という形式も存在する。

そして、何よりも重要なのは、自国が相手国に向けて外債を出す場合もあれば、反対に第三国が発行した外債を自国で引き受ける事もあるという点である。
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日本はその歴史上において、幕末に後進国として国際経済に参加し、一度は富国強兵政策によって先進国(人口の2人に1人が農民という農業国家であったが)の地位を築きながら、第二次世界大戦での敗北によって経済基盤を喪失して再度後進国から高度経済成長を経て先進国として復活した経緯がある。このため、長い間外債を他国に向けて発行して資金調達を行う事が多かった。だが、先進国としての日本の地位が固まると逆に他国より日本に向けた外債発行も行われるようになった。

円貨建外債(えんかだてがいさい)とは、日本以外の国家及び日本に本拠地を持たない機関・法人などが、日本市場において日本円による額面表記をもって発行する債券の事である。円建て外債(えんだてがいさい)あるいはサムライ債とも呼ばれる。

2009年10月31日

民間療法と喫茶の歴史

水分を多めに取る事で、非常な痛みを伴う症状の発生を予防できる事は、古くから経験によって知られていた。これは排尿によって血中尿酸濃度を下げる効果があるため、関節への尿酸結晶の発生を避けられるためである。

特に利尿作用のある緑茶・紅茶・コーヒー等を多量に摂取して大量に排尿すれば、それだけ大量の尿酸が体外に排泄される事にも繋がるため、より症状発生の予防ができるとされている。しかし利尿作用も度が過ぎると、脱水症状を起こして症状が悪化したり、尿路結石が出来る可能性もある。

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ヨーロッパに喫茶の習慣が伝えられると、痛風の症状を緩和できたり予防できるとして、盛んに喫茶が流行・奨励された。

なお当時の緑茶が、日本・中国などのアジアでしか生産されていなかった事もあり、大変贅沢な療法とされ、オランダが日本産や中国産の、イギリスが中国産の緑茶を独占的に扱っていたため、緑茶が高価過ぎて手が出せない事情から、フランスやドイツでは、コーヒーの飲用が流行したという。紅茶は、保存に便利で効果の程は緑茶と大きく変わらないとして、後々のイギリスにおける紅茶文化発展の元となった。

2009年10月20日

姫島盆踊り

姫島盆踊り(ひめしまぼんおどり)は、大分県の姫島(東国東郡姫島村)に伝わる盆踊り。毎年8月15日から17日までの3日間行われる。
姫島の盆踊りは、鎌倉時代の念仏踊りから発展したものといわれている。毎年8月15日から17日までの3日間行われ、15日、16日の両日が特に盛大である。また、盆踊り期間中以外にも、姫島かれい祭り(毎年5月)や姫島車えび祭り(毎年10月)等のイベントで披露される。

盆踊りの期間には、各地区ごとの盆坪と呼ばれる会場と中央広場との計7会場が設けられ、踊り手は地区毎に15?20名が一組となって、まず各自の地区の盆坪で踊り、次いで島内各地の盆坪を巡って踊る。
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踊りは、伝統踊りと創作踊りとに大別され、伝統踊りにはアヤ踊り、キツネ踊り、猿丸太夫、銭太鼓等がある。創作踊りは、毎年新しく作られるもので、ほとんどはその年限りである(中には、大海地区のタヌキ踊りのように、毎年踊られるようになるものもある)。1度の祭りで踊られる踊りの種類は50種以上にのぼる。アヤ踊り、キツネ踊り、猿丸太夫、銭太鼓は、姫島村の無形文化財に指定されている。

アヤ踊り(あやおどり)は、青年男女が二人一組となって踊る踊りで、アヤ棒といわれる短い青竹の棒を持った上半身裸の男性が、優雅に手踊りをする女性の間を縫って、激しく跳ね踊る。男女の静と動が対照的な踊りである。北浦地区に伝わるものである。

2009年06月21日

宣伝(せんでん)とは、企業や商店などが

宣伝(せんでん)とは、企業や商店などが、自分たちが提供する商品やサービスを、その特長も含めて一般大衆に知ってもらおうとする活動の事。プロモーション (promotion) とも言う。広義にはキャンペーンや試食販売などの販売促進活動も含む。

特に放送や新聞、雑誌などのマスメディアを利用したり、鉄道駅、鉄道車両、バスといった交通機関の施設など、何らかのメディアを利用して行う宣伝を「広告」ともいう。(その方法は広告を参照)
転じて、自分の自慢を周囲に言いふらして回る事や、見た目でその人がどんな人か分かるような格好や言動をする事も宣伝という。
宣伝とは、元々はプロパガンダの訳語であったが、昭和初期に商業目的の宣伝部が作られた企業が登場した。戦後にはもっぱら商業宣伝の略として使われている。このため、書籍や会話等ではどちらの意味で使用しているか留意が必要な場合がある。
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ソフトボール

不当な宣伝行為 [編集]
特定の商品やサービスについて、虚偽あるいは大げさな内容をうたい、実際よりも優秀・優良であるかのように見せる宣伝手法のことを過大宣伝(かだいせんでん)あるいは誇大宣伝(こだいせんでん)などという。広告の場合は、過大広告あるいは誇大広告という。

このような宣伝行為は、健全かつ公正な競争を維持できないばかりか、消費者の誤認を招き被害が発生する恐れがあるため、多くの場合(特に商行為)において不当表示(あるいはそれに順ずる行為)として禁じられている。日本における根拠法としては不当景品類及び不当表示防止法(景品表示法)が挙げられ、他にも宅地建物取引業法第32条、特定商取引に関する法律第12条、薬事法第66条などにて、誇大広告等につき禁止する旨の規定が設けられている。

2009年06月02日

日本刀の多くは片刃であり、刃のない側は棟

日本刀の多くは片刃であり、刃のない側は棟(むね)または峰(みね)、また刃と棟の間の膨らんだ部分を鎬(しのぎ)と呼ぶ。鎬地と棟の間には樋(ひ)と呼ばれる溝が両面にそれぞれ1本または2本掘られるものがある。重量軽減しながら強度を保つ工夫であるが、実際は鎬地の傷隠しのために後世になってから彫るものが圧倒的に多い。また、鎬を高く棟を卸した作り込みが大和伝の特徴(棟を盗むという)で、これも樋と同じ目的となっている。大和伝以外では、戦国期に長船與三左衛門祐定と和泉守兼定が棟を盗む造りの名人であり、実用刀として珍重された。

刀身のうち柄(つか)に収まる部分を茎(なかご)、茎を柄に固定する棒状のものを目釘、それを通す孔を目釘孔(めくぎあな)と呼ぶ。茎には鋼の平鑢(ひらやすり)を丁寧にかけ(鑢目の種類は後述)、刃区(はまち)、棟区(むねまち)を整える。茎棟には流儀によって丸棟(まるむね)、角棟(かくむね)がある。さらに茎の尻を鑢で仕上げ、最後に目釘孔を設け銘を切る。古来、茎の鑢がけは柄から抜けにくくするためとされたが、江戸時代においては美観と贋物防止が目的となる。
設計施工 運勢 リフレ お土産 アロマ 飲料水 スクール 信越北陸 学習 公園 美容整形 アルバイト 審美歯科 クレジット 結婚 アロマ ペット 美容整形 不用品 成人病 生活雑貨 パソコン 近畿東海 教育 旅行 ネイル 人探し しわ取り 調査 自動車 成人病 癒し ポイント 美容整形 特産品 成人病 食品 学習 キャンプ場 海外 スポット 美容整形 賃貸 結婚 SEM促進 仏具 成人病 ゲーム 多汗症 美容

一般的に日本刀を鑑賞するときには、刃文と地鉄に注目することが多い。刃文を構成する匂い口の様子や刃中の働き、鍛錬して鍛えた地鉄中の働き、鉄色の冴えを見る。さらに深く鑑賞、もしくは鑑定する場合は、中茎を手に持ち垂直に立て、まず姿を見、作刀時代の検討をつける。続いて、各々の時代特色が刀身に現れているか鉄色、匂い口の雰囲気、そして特に切先である帽子の出来から観察し、鑑賞する。最後に中茎の具合を手のひらの感触、錆の具合、中茎孔の状態、鑢目、中茎尻、中茎棟の仕上げ状態、そして銘があれば銘を鏨切りの方向からも観察し、文字通り撫で回すように鑑賞する

2009年04月30日

雲南派

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雲南派(うんなんは, もしくは滇系) とは、中華民国時代における南方軍閥の1つ。代表人物として唐継尭、竜雲がなどがおり、その勢力圏は雲南省、貴州省、四川省地区に及んだ。

滇軍は清朝末の第19軍が元になっており、蔡鍔、李根源、唐継尭らは、1911年10月10日、武昌起義(辛亥革命)が勃発すると、軍の主導権を掌握し、挙兵。10月30日、蔡鍔らは昆明で挙兵し、雲貴総督李経羲を捕虜として雲南省を掌握した(重九起義)。11月1日、「大中華国雲南軍都督府」が設立されると、蔡鍔は雲南都督に推戴された。蔡鍔は直ちに、雲南の軍事・政治の改革に取り組む。その清廉にして果断な政治姿勢により、省政の面目を一新したため、省を混乱させることなく、人心掌握に成功した。

1913年7月、二次革命(第二革命)が勃発すると、蔡鍔は袁世凱を支持した。10月に蔡鍔が袁世凱によって北京に迎えられると、唐継尭が雲南都督を引き継ぎ、滇軍を掌握した。1915年に蔡鍔は袁世凱の帝政に反発し、北京を脱出した。そして、唐継尭らとともに12月25日に雲南省の独立を宣言し、護国戦争が勃発した。同戦争は反袁世凱派に有利に進んだが、蔡鍔は1916年に結核をわずらい、11月8日に治療のため訪れていた日本で死去した。

2009年04月15日

デンマーク=ノルウェー

デンマーク=ノルウェーはデンマークとノルウェーを中心に構成されていた同君連合。カルマル連合が1523年にスウェーデンの最終的な離脱宣言で崩壊して以後、特にノルウェー王国参事会が廃止された1537年以後の呼称である。デンマークにはスレースヴィ・ホルステン両公国も属していたが、それらは独自の行政単位であった。したがって、デンマーク・ノルウェー間での連合の解消は両公国との関係には影響せず、1864年まで同君連合を構成し続けた。

1814年、キール条約によってノルウェーはスウェーデンへ割譲されることとなった。ノルウェーにおいてはクリスチャン・フレゼリクが国王に選出され、エイツヴォル議会は憲法を採択した。しかし、ノルウェーの独立は国際的承認を受けられなかった。モス協定でスウェーデンはノルウェー憲法を承認し、ノルウェーは内政に関して高度の自治を獲得することとなった(スウェーデン=ノルウェー)。

カルマル連合は最終的に1536年まで継続されたが、伯爵戦争を経て、この年にデンマーク王国参事会はノルウェーをデンマークの州とすることを宣言した。ノルウェーは世襲王制であったため、国王の関心はノルウェーの独立性をより小さく抑えておくことであった。それはデンマーク王家が将来にわたってデンマーク王に選出される権利を確実なものにするためであった。ノルウェーは法と一部の機関を独自のものとして保ったが、それまでノルウェーの植民地であったアイスランド・グリーンランド・フェロー諸島はデンマーク王のもとに属することとなった。

絶対主義の導入 [編集]
1660年、フレゼリク3世は身分制議会における貴族と市民の対立を利用して、絶対主義と世襲王制を導入した。絶対主義の導入によって「旧貴族」は影響力と伝統的特権の多くを失った。一方で、絶対主義体制における国王への臣従によって新たに貴族となった者たちには、新たな特権が与えられた。これに伴い、「旧貴族」の支配下にあったデンマーク王国参事会は廃止されることとなった。

また連合全体に新たな行政制度が導入され、1687年にはクリスチャン5世が新たな法を導入した。ノルウェーではこの時まで、13世紀のマグヌス改法王以来の全国法が効力を有していたのである。

同君連合国家「ヒールスタート」 [編集]
1773年、デンマーク王はロシア皇帝との条約で二重王国とホルシュタインへの主権を保障され、ここに同君連合国家「ヒールスタート」が成立した。デンマーク=ノルウェーはスウェーデンとも1753年に国境に関する条約を結び、ノルウェー北部のフィンマルクへの支配権が保障された。大北方戦争終結から18世紀末に至るまで、デンマーク=ノルウェーには直接の脅威が存在しなかったからである。

ヒールスタートの維持は異なる民族の合意と融合にかかっていた。それは第1にノルウェー人・デンマーク人・ホルシュタイン人、次いで北ノルウェーのサーミ人と植民地の様々な住民を含むその他の民族である。多様な文化を抱えるヒールスタートにとっては、共通の基盤を見出すことは困難であった。ヒールスタートは1つの民族からなるのか、あるいは複数の民族と複数の祖国からなるのか、という問題が呈された。ベアンストーフ・シメルマン ・レーヴェントロウら1784年以降の権力者たちにとって、連合内の異なる言語や文化との連帯感の中で青年期を送ったことは決定的な意味をもった。特に1784年から1814年に至るまでには、借地農の法的地位を定める勅令(1787年)、土地緊縛制の廃止(1788年)など徹底的な改革が実行された。1790年には出版の自由も保証されたが、これは1799年に再び規制が強化された。

社会的状況 [編集]
デンマークとノルウェーの関係は経済的に見れば完璧に機能していた。古くからノルウェーを悩ませていた農作物の不足はデンマークの農業によって補われた。一方で、北方戦争でスコーネの領土を失ってから強力な海軍を維持する必要に迫られたデンマークでは木材が不足し、森林がノルウェーの最大の切り札となった。ノルウェーは鉱物資源を有していたため、工業化に関して先進的であると見なされた。ノルウェーの製鉄業はデンマークの鉄供給を独占し、デンマークは一方でノルウェーの穀物供給を独占していた。

しかし、官職に就くためには大学のあるコペンハーゲンからその経歴を始めなければならず、海軍士官の教育に関してもそれは同様であった。デンマークに渡ったノルウェー人はコペンハーゲンの影響を刻み込まれ、また言語においても影響を受けた。デンマーク語は唯一の書き言葉であったが、ノルウェーの民衆の話し言葉とは異なっていた。コペンハーゲンで教育を受けた者の多くは帰国せず、またデンマークと両公国からは多くの官僚や実業家がノルウェーに移住した。

ナポレオン戦争 [編集]
デンマーク=ノルウェーは、ナポレオン戦争に対して当初は中立を標榜したものの、イギリスとの通商面での対立を回避出来ず、1800年にスウェーデン、ロシア帝国などと組んで「武装中立同盟」を結んだ。しかし翌1801年に海軍がイギリス艦隊に敗れると反英的な立場に転じ、フランス帝国へと接近した。1807年にはイギリス海軍がコペンハーゲンを攻撃し、軍艦を拿捕して去ると、デンマークはやむなくフランスとの同盟に入った。

1807年以降イギリス海軍がカテガット海峡に展開し、デンマークとノルウェーの交通は遮断された。ノルウェーは飢餓に陥り、経済は壊滅したが、フレゼリク6世はフランスとの同盟を継続した。国王はノルウェーの忠誠心を保つため、従弟のクリスチャン・フレゼリク(後のデンマーク王クリスチャン8世)を総督として派遣した。イギリス軍艦の巡回する状況下でノルウェー入りしなければならず、公は漁師に変装して漁船に乗り込んだ。

1814年のキール条約によって、デンマークとノルウェーの緊密な政治的関係は断ち切られた。対仏大同盟諸国はナポレオン戦争におけるデンマーク=ノルウェーの役割からしてそれほど大きな要求をしようとはしなかったが、しかし、スウェーデンはそうではなかった。スウェーデンは数世紀にわたり、特に1809年にロシアにフィンランドを割譲して以降、ノルウェー侵攻を企図していたのである。スウェーデンが同盟側に立って参戦した見返りとして、ノルウェーが割譲されることとなった。

かつてノルウェーの植民地であったアイスランド・グリーンランド・フェロー諸島は、同君連合以前のノルウェーの法的支配下にあったため、デンマークがこれを獲得した。ノルウェー割譲の代償として、デンマークは北ドイツのスウェーデン領を得ることになったが、その際スウェーデン領ポンメルンとリューゲン島をプロイセンが獲得し、代わりにホルシュタインに隣接するラウエンブルクをデンマークがプロイセンから得るという取引が行われた。

分離とノルウェー=スウェーデン同君連合 [編集]
ノルウェー人は、スウェーデンへの併合を避けるため、独立し、同時代のヨーロッパにおいて最も自由な憲法を制定しようと試みた。ノルウェーの王位継承者でもあったクリスチャン・フレゼリクは独立運動の指導者となり、エイッツヴォルに憲法制定議会を招集した。この議会は1814年5月17日にクリスチャン・フレゼリクを独立ノルウェーの国王に選んだ。

しかし、ノルウェーのこの独立は長続きしなかった。王太子カール・ユーハン率いるスウェーデン軍が7月に侵攻し、8月14日にノルウェーは休戦を余儀なくされた。クリスチャン・フレゼリクは臨時議会を召集し、退位を表明した。議会はスウェーデンとの同君連合に必要な憲法修正を行った。5月17日のエイッツヴォル憲法の大部分は維持することを許され、11月4日にノルウェー議会は、形式上は自発的に、スウェーデンのカール13世を国王に選出した。この連合はかなり緩やかなものであり、両国に共通なのは国王と外交のみであった。

ノルウェーはスウェーデンとの連合を強いられたが、デンマークとの文化的な絆の多くは依然として保たれた。1811年に設立された王立フレゼリク大学(現在のオスロ大学)によって、ノルウェー人はもはや教育を受けるためにコペンハーゲンに行く必要がなくなったが、ノルウェーの教育制度は依然としてデンマークのものと似通っていた。後にリクスモールと呼ばれることになるノルウェーの書き言葉もまた、20世紀初めに至るまで概してデンマーク語と同様であった。ただし19世紀中期にはオーセンによって作られたランスモールという新たな書き言葉も登場する。

1814年前後のナショナリズムの高揚に伴い、ノルウェーの立場からデンマークを批判するパンフレットも発行されていた。こうした形で見られるようなデンマークに対する不快感は、スウェーデンとの連合時代に入っても残り、デンマークとの連合はしばしば否定的に「400年間の夜」と呼ばれもした。しかし、その後の研究によって示された時代像は、功罪両面に光を当てたより具体的なものとなっていく。

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