2009年06月21日

宣伝(せんでん)とは、企業や商店などが

宣伝(せんでん)とは、企業や商店などが、自分たちが提供する商品やサービスを、その特長も含めて一般大衆に知ってもらおうとする活動の事。プロモーション (promotion) とも言う。広義にはキャンペーンや試食販売などの販売促進活動も含む。

特に放送や新聞、雑誌などのマスメディアを利用したり、鉄道駅、鉄道車両、バスといった交通機関の施設など、何らかのメディアを利用して行う宣伝を「広告」ともいう。(その方法は広告を参照)
転じて、自分の自慢を周囲に言いふらして回る事や、見た目でその人がどんな人か分かるような格好や言動をする事も宣伝という。
宣伝とは、元々はプロパガンダの訳語であったが、昭和初期に商業目的の宣伝部が作られた企業が登場した。戦後にはもっぱら商業宣伝の略として使われている。このため、書籍や会話等ではどちらの意味で使用しているか留意が必要な場合がある。
星と光たち
オリンピックの驚き
海のお話
ウサギの秘密
めの付く言葉
音楽歴史
まの付く言葉
バレンタインデー
たばこ禁煙
酒に飲まれて
皮膚科学
為替
アーチェリー
ボイスドラマ
九州
カポエラ
ビオトープ
縄跳び
包装
ソフトボール

不当な宣伝行為 [編集]
特定の商品やサービスについて、虚偽あるいは大げさな内容をうたい、実際よりも優秀・優良であるかのように見せる宣伝手法のことを過大宣伝(かだいせんでん)あるいは誇大宣伝(こだいせんでん)などという。広告の場合は、過大広告あるいは誇大広告という。

このような宣伝行為は、健全かつ公正な競争を維持できないばかりか、消費者の誤認を招き被害が発生する恐れがあるため、多くの場合(特に商行為)において不当表示(あるいはそれに順ずる行為)として禁じられている。日本における根拠法としては不当景品類及び不当表示防止法(景品表示法)が挙げられ、他にも宅地建物取引業法第32条、特定商取引に関する法律第12条、薬事法第66条などにて、誇大広告等につき禁止する旨の規定が設けられている。

2009年06月02日

日本刀の多くは片刃であり、刃のない側は棟

日本刀の多くは片刃であり、刃のない側は棟(むね)または峰(みね)、また刃と棟の間の膨らんだ部分を鎬(しのぎ)と呼ぶ。鎬地と棟の間には樋(ひ)と呼ばれる溝が両面にそれぞれ1本または2本掘られるものがある。重量軽減しながら強度を保つ工夫であるが、実際は鎬地の傷隠しのために後世になってから彫るものが圧倒的に多い。また、鎬を高く棟を卸した作り込みが大和伝の特徴(棟を盗むという)で、これも樋と同じ目的となっている。大和伝以外では、戦国期に長船與三左衛門祐定と和泉守兼定が棟を盗む造りの名人であり、実用刀として珍重された。

刀身のうち柄(つか)に収まる部分を茎(なかご)、茎を柄に固定する棒状のものを目釘、それを通す孔を目釘孔(めくぎあな)と呼ぶ。茎には鋼の平鑢(ひらやすり)を丁寧にかけ(鑢目の種類は後述)、刃区(はまち)、棟区(むねまち)を整える。茎棟には流儀によって丸棟(まるむね)、角棟(かくむね)がある。さらに茎の尻を鑢で仕上げ、最後に目釘孔を設け銘を切る。古来、茎の鑢がけは柄から抜けにくくするためとされたが、江戸時代においては美観と贋物防止が目的となる。
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一般的に日本刀を鑑賞するときには、刃文と地鉄に注目することが多い。刃文を構成する匂い口の様子や刃中の働き、鍛錬して鍛えた地鉄中の働き、鉄色の冴えを見る。さらに深く鑑賞、もしくは鑑定する場合は、中茎を手に持ち垂直に立て、まず姿を見、作刀時代の検討をつける。続いて、各々の時代特色が刀身に現れているか鉄色、匂い口の雰囲気、そして特に切先である帽子の出来から観察し、鑑賞する。最後に中茎の具合を手のひらの感触、錆の具合、中茎孔の状態、鑢目、中茎尻、中茎棟の仕上げ状態、そして銘があれば銘を鏨切りの方向からも観察し、文字通り撫で回すように鑑賞する

2009年04月30日

雲南派

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雲南派(うんなんは, もしくは滇系) とは、中華民国時代における南方軍閥の1つ。代表人物として唐継尭、竜雲がなどがおり、その勢力圏は雲南省、貴州省、四川省地区に及んだ。

滇軍は清朝末の第19軍が元になっており、蔡鍔、李根源、唐継尭らは、1911年10月10日、武昌起義(辛亥革命)が勃発すると、軍の主導権を掌握し、挙兵。10月30日、蔡鍔らは昆明で挙兵し、雲貴総督李経羲を捕虜として雲南省を掌握した(重九起義)。11月1日、「大中華国雲南軍都督府」が設立されると、蔡鍔は雲南都督に推戴された。蔡鍔は直ちに、雲南の軍事・政治の改革に取り組む。その清廉にして果断な政治姿勢により、省政の面目を一新したため、省を混乱させることなく、人心掌握に成功した。

1913年7月、二次革命(第二革命)が勃発すると、蔡鍔は袁世凱を支持した。10月に蔡鍔が袁世凱によって北京に迎えられると、唐継尭が雲南都督を引き継ぎ、滇軍を掌握した。1915年に蔡鍔は袁世凱の帝政に反発し、北京を脱出した。そして、唐継尭らとともに12月25日に雲南省の独立を宣言し、護国戦争が勃発した。同戦争は反袁世凱派に有利に進んだが、蔡鍔は1916年に結核をわずらい、11月8日に治療のため訪れていた日本で死去した。

2009年04月15日

デンマーク=ノルウェー

デンマーク=ノルウェーはデンマークとノルウェーを中心に構成されていた同君連合。カルマル連合が1523年にスウェーデンの最終的な離脱宣言で崩壊して以後、特にノルウェー王国参事会が廃止された1537年以後の呼称である。デンマークにはスレースヴィ・ホルステン両公国も属していたが、それらは独自の行政単位であった。したがって、デンマーク・ノルウェー間での連合の解消は両公国との関係には影響せず、1864年まで同君連合を構成し続けた。

1814年、キール条約によってノルウェーはスウェーデンへ割譲されることとなった。ノルウェーにおいてはクリスチャン・フレゼリクが国王に選出され、エイツヴォル議会は憲法を採択した。しかし、ノルウェーの独立は国際的承認を受けられなかった。モス協定でスウェーデンはノルウェー憲法を承認し、ノルウェーは内政に関して高度の自治を獲得することとなった(スウェーデン=ノルウェー)。

カルマル連合は最終的に1536年まで継続されたが、伯爵戦争を経て、この年にデンマーク王国参事会はノルウェーをデンマークの州とすることを宣言した。ノルウェーは世襲王制であったため、国王の関心はノルウェーの独立性をより小さく抑えておくことであった。それはデンマーク王家が将来にわたってデンマーク王に選出される権利を確実なものにするためであった。ノルウェーは法と一部の機関を独自のものとして保ったが、それまでノルウェーの植民地であったアイスランド・グリーンランド・フェロー諸島はデンマーク王のもとに属することとなった。

絶対主義の導入 [編集]
1660年、フレゼリク3世は身分制議会における貴族と市民の対立を利用して、絶対主義と世襲王制を導入した。絶対主義の導入によって「旧貴族」は影響力と伝統的特権の多くを失った。一方で、絶対主義体制における国王への臣従によって新たに貴族となった者たちには、新たな特権が与えられた。これに伴い、「旧貴族」の支配下にあったデンマーク王国参事会は廃止されることとなった。

また連合全体に新たな行政制度が導入され、1687年にはクリスチャン5世が新たな法を導入した。ノルウェーではこの時まで、13世紀のマグヌス改法王以来の全国法が効力を有していたのである。

同君連合国家「ヒールスタート」 [編集]
1773年、デンマーク王はロシア皇帝との条約で二重王国とホルシュタインへの主権を保障され、ここに同君連合国家「ヒールスタート」が成立した。デンマーク=ノルウェーはスウェーデンとも1753年に国境に関する条約を結び、ノルウェー北部のフィンマルクへの支配権が保障された。大北方戦争終結から18世紀末に至るまで、デンマーク=ノルウェーには直接の脅威が存在しなかったからである。

ヒールスタートの維持は異なる民族の合意と融合にかかっていた。それは第1にノルウェー人・デンマーク人・ホルシュタイン人、次いで北ノルウェーのサーミ人と植民地の様々な住民を含むその他の民族である。多様な文化を抱えるヒールスタートにとっては、共通の基盤を見出すことは困難であった。ヒールスタートは1つの民族からなるのか、あるいは複数の民族と複数の祖国からなるのか、という問題が呈された。ベアンストーフ・シメルマン ・レーヴェントロウら1784年以降の権力者たちにとって、連合内の異なる言語や文化との連帯感の中で青年期を送ったことは決定的な意味をもった。特に1784年から1814年に至るまでには、借地農の法的地位を定める勅令(1787年)、土地緊縛制の廃止(1788年)など徹底的な改革が実行された。1790年には出版の自由も保証されたが、これは1799年に再び規制が強化された。

社会的状況 [編集]
デンマークとノルウェーの関係は経済的に見れば完璧に機能していた。古くからノルウェーを悩ませていた農作物の不足はデンマークの農業によって補われた。一方で、北方戦争でスコーネの領土を失ってから強力な海軍を維持する必要に迫られたデンマークでは木材が不足し、森林がノルウェーの最大の切り札となった。ノルウェーは鉱物資源を有していたため、工業化に関して先進的であると見なされた。ノルウェーの製鉄業はデンマークの鉄供給を独占し、デンマークは一方でノルウェーの穀物供給を独占していた。

しかし、官職に就くためには大学のあるコペンハーゲンからその経歴を始めなければならず、海軍士官の教育に関してもそれは同様であった。デンマークに渡ったノルウェー人はコペンハーゲンの影響を刻み込まれ、また言語においても影響を受けた。デンマーク語は唯一の書き言葉であったが、ノルウェーの民衆の話し言葉とは異なっていた。コペンハーゲンで教育を受けた者の多くは帰国せず、またデンマークと両公国からは多くの官僚や実業家がノルウェーに移住した。

ナポレオン戦争 [編集]
デンマーク=ノルウェーは、ナポレオン戦争に対して当初は中立を標榜したものの、イギリスとの通商面での対立を回避出来ず、1800年にスウェーデン、ロシア帝国などと組んで「武装中立同盟」を結んだ。しかし翌1801年に海軍がイギリス艦隊に敗れると反英的な立場に転じ、フランス帝国へと接近した。1807年にはイギリス海軍がコペンハーゲンを攻撃し、軍艦を拿捕して去ると、デンマークはやむなくフランスとの同盟に入った。

1807年以降イギリス海軍がカテガット海峡に展開し、デンマークとノルウェーの交通は遮断された。ノルウェーは飢餓に陥り、経済は壊滅したが、フレゼリク6世はフランスとの同盟を継続した。国王はノルウェーの忠誠心を保つため、従弟のクリスチャン・フレゼリク(後のデンマーク王クリスチャン8世)を総督として派遣した。イギリス軍艦の巡回する状況下でノルウェー入りしなければならず、公は漁師に変装して漁船に乗り込んだ。

1814年のキール条約によって、デンマークとノルウェーの緊密な政治的関係は断ち切られた。対仏大同盟諸国はナポレオン戦争におけるデンマーク=ノルウェーの役割からしてそれほど大きな要求をしようとはしなかったが、しかし、スウェーデンはそうではなかった。スウェーデンは数世紀にわたり、特に1809年にロシアにフィンランドを割譲して以降、ノルウェー侵攻を企図していたのである。スウェーデンが同盟側に立って参戦した見返りとして、ノルウェーが割譲されることとなった。

かつてノルウェーの植民地であったアイスランド・グリーンランド・フェロー諸島は、同君連合以前のノルウェーの法的支配下にあったため、デンマークがこれを獲得した。ノルウェー割譲の代償として、デンマークは北ドイツのスウェーデン領を得ることになったが、その際スウェーデン領ポンメルンとリューゲン島をプロイセンが獲得し、代わりにホルシュタインに隣接するラウエンブルクをデンマークがプロイセンから得るという取引が行われた。

分離とノルウェー=スウェーデン同君連合 [編集]
ノルウェー人は、スウェーデンへの併合を避けるため、独立し、同時代のヨーロッパにおいて最も自由な憲法を制定しようと試みた。ノルウェーの王位継承者でもあったクリスチャン・フレゼリクは独立運動の指導者となり、エイッツヴォルに憲法制定議会を招集した。この議会は1814年5月17日にクリスチャン・フレゼリクを独立ノルウェーの国王に選んだ。

しかし、ノルウェーのこの独立は長続きしなかった。王太子カール・ユーハン率いるスウェーデン軍が7月に侵攻し、8月14日にノルウェーは休戦を余儀なくされた。クリスチャン・フレゼリクは臨時議会を召集し、退位を表明した。議会はスウェーデンとの同君連合に必要な憲法修正を行った。5月17日のエイッツヴォル憲法の大部分は維持することを許され、11月4日にノルウェー議会は、形式上は自発的に、スウェーデンのカール13世を国王に選出した。この連合はかなり緩やかなものであり、両国に共通なのは国王と外交のみであった。

ノルウェーはスウェーデンとの連合を強いられたが、デンマークとの文化的な絆の多くは依然として保たれた。1811年に設立された王立フレゼリク大学(現在のオスロ大学)によって、ノルウェー人はもはや教育を受けるためにコペンハーゲンに行く必要がなくなったが、ノルウェーの教育制度は依然としてデンマークのものと似通っていた。後にリクスモールと呼ばれることになるノルウェーの書き言葉もまた、20世紀初めに至るまで概してデンマーク語と同様であった。ただし19世紀中期にはオーセンによって作られたランスモールという新たな書き言葉も登場する。

1814年前後のナショナリズムの高揚に伴い、ノルウェーの立場からデンマークを批判するパンフレットも発行されていた。こうした形で見られるようなデンマークに対する不快感は、スウェーデンとの連合時代に入っても残り、デンマークとの連合はしばしば否定的に「400年間の夜」と呼ばれもした。しかし、その後の研究によって示された時代像は、功罪両面に光を当てたより具体的なものとなっていく。

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2009年03月31日

柏戸剛

柏戸 剛(かしわど つよし、本名:富樫 剛(とがし つよし)、1938年(昭和13年)11月29日 - 1996年(平成8年)12月8日)は、大相撲の力士で、第47代横綱。山形県東田川郡山添村(のちの櫛引町、現鶴岡市)出身。鶴岡市名誉市民。現役時代の体格は188cm、139kg。

入門?「ハイティーン・トリオ」 [編集]
果樹園などを営む豪農の家に生まれ、鶴岡南高1年のときにスカウトされ、1954年9月、蔵前国技館落成の場所に初土俵を踏む。それまでの暫定的な国技館とは異なる本格的な国技館開館の場所に初土俵を踏んだことで後に「こんなすばらしい所で相撲が取れると思うと感動した」と語った。若い頃から期待され幕下時代には既に「伊勢ノ海部屋の富樫を知ってるか、未来の横綱だぞ」と言われていた。1957年11月場所に十両昇進、1958年9月場所本名の富樫のままで入幕、当時19歳で同時期に入幕した若秩父・豊ノ海と「ハイティーン・トリオ」と呼ばれた。1959年3月場所から伊勢ノ海部屋の伝統の四股名柏戸を襲名する。11代目である。

東小結で迎えた1960年1月場所、この場所新入幕で初日から11連勝の大鵬の止め役として12日目に割が組まれた。記者達に囲まれ「明日は全勝の新入幕大鵬ですが自信の程はいかがですか」とマイクを出されると「番付を見ろ、儂は小結だぞ」と一蹴したが本当は負けはしないかと思っていたという。それでも左下手出し投げで倒して面目を保ちこの場所9勝6敗で翌場所関脇に昇進。同年9月場所新大関、翌1961年1月場所に13勝2敗で初優勝。場所後にエールフランスからヨーロッパ旅行に招待されたが、テヘラン空港で髷を見た人から、同行した春日野親方(元横綱栃錦)の妻と勘違いされたというエピソードがある。

横綱同時昇進、「柏鵬時代」 [編集]
同年9月場所に12勝3敗、優勝決定戦では平幕の明武谷は倒すが大鵬に敗れ優勝はできず星数も直前3場所で33勝と全くの不足ではあるが大鵬とともに横綱昇進を果たした。史上4例目の横綱同時昇進である。歴代の柏戸には大関はいるが横綱は初めて(吉田司家以外から免許授与の話が出た力士としては柏戸利助がいるが吉田司家に遠慮して断わったという)である。時に22歳9ヶ月、大鵬とともに照國の最年少昇進記録を上回った(現在は歴代5位)。ともあれこれで太古の白鳳時代を捩った「柏鵬時代」も本格的に展開するとみられていた。

ところが昇進後は怪我や病気で休場続きで、4場所連続の休場から再起をかけた1963年9月場所には解説玉の海の「柏戸に勝たせたいねえ」の声が聞こえたか大鵬との千秋楽全勝決戦を制して見事な全勝で昇進後初となる2度目の優勝。これ以上はない見事な復活に日本中が感動し、柏戸は支度部屋で号泣した。だが、この取組をみた石原慎太郎が、新聞に八百長の疑惑を寄稿した。大鵬自身はビデオを見て自分の驕りだったとは感じたが勿論激怒し、時津風理事長の問いに対し「絶対に八百長はやっていない」と断言した。これを受け、協会は石原を告訴する準備をした。この件は石原側が謝罪する事で和解した。石原は相撲関係者でも何でもなく、この件まで本場所を見たことが無いという有様であった。
ただし高鐵山は後に自著『八百長』の中で石原発言を支持し「初めて大掛りな注射相撲をしたのが柏戸さん。」と記している。皮肉にもこの件で大鵬と柏戸の仲は良くなった。

翌1964年3月場所で再び大鵬と千秋楽全勝決戦となったが今度は大鵬が勝った。その後も病魔に付きまとわれて好不調の波が激しく休場も多かったため優勝回数が伸びず連覇はなかった。しかも後から綱をとった同い年の栃ノ海や佐田の山が先に引退してしまい、自分が引退すれば横綱は大鵬だけになるなどの事情からすぐには引退できず現役を続けていたが晩年は肝臓や腎臓を病み成績不振も多かった。故障も多く時津風理事長が「柏戸の体は瀬戸物でできているみたいだ」と嘆いたこともある。

優勝回数こそ5回で大鵬の32回と比べると少ないように見えるが、横綱を務めること約8年で在位47場所(歴代6位)、優勝に準ずる成績を残すこと15回で勝率も低いとはいえない為、大鵬との相性のよさを差し引いても当時を知る人の中では柏戸を「弱い横綱」と評する人は少ない。大関時代までの大鵬にとっては最強の壁であり大関時代までは柏戸7勝、大鵬3勝だった。その後大鵬が勝ち込み10勝10敗で並んでから16勝16敗までは全く雁行し、真に両雄伯仲の柏鵬時代を顕した。「優勝大鵬、対戦柏戸」と言われたが最後は5連敗し、通算対戦成績は柏戸16勝、大鵬21勝。

また、当時は系統別で割が組まれたが柏戸だけは孤立無援、土俵入りでは露払いも太刀持ちも他の一門(例えば時津風一門、現在では同門だが当時は別だった)から借りていた。弟弟子の藤ノ川が入幕するまで同門が幕内に1人もおらず横綱以下役力士全員と戦わねばならないなどの不利もあったがこれを考えてもやはり立派な成績だといえる。しかし引退の記者会見では『柏鵬時代などと言われたが、むこうは成績も立派で自分は怪我も多く優勝回数も少なく恥ずかしかった。』と語った。

2人の全盛期、後に大鵬が自伝のタイトルにも使った「巨人、大鵬、卵焼き」に対して「大洋(阪神という説もある)、柏戸、水割り」という言葉があった。子供ウケの大鵬に対して大人ウケの柏戸という意味があったらしい。その大人ウケしたという取口は立合いから左前褌右おっつけで一気に突進するというもので土俵際でも慎重に腰を落とすという定石をも無視し、一気に長身を利用し覆い被さるように相手を押し倒すという豪快なもので、相手が横に動くとあっさり負けることもあったがその破壊力は誰からも恐れられていた。若乃花でさえも横に動いて突進をかわしての投げで決めたことがあったというからその凄さがわかるだろう。その若乃花も柏戸に初めて敗れたことで引退を本格的に考え始めたとされている。また四つ相撲が全く駄目というわけではなく、得意は速攻だったが組んで動きが止まってもそれなりの力は発揮した。若き日は「角界のサラブレッド」とも呼ばれていたが、体が硬く性格も無器用なことから師匠伊勢ノ海は徹底して速攻を仕込んだといわれ、本人も「マゲを切るまで突っ走る」思いで速攻にこだわった。ただしその取り口ゆえかポカが多く強い時には誰にも止められなかったが弱い時には思わぬ相手に負けることもあり好不調の波が激しかった。
ビレッジ ジュレーター ララバイ 幸せの鳥 モノライン ギンヌン オプシン レンズ じゅん ナッパ トマト データ リデュース ピンサロ ブッフェ ニング エンド ちゃうす デンド ドライブ クロマ レトロ シロホン タンタン オーダ キットキ メソポ オフデ スイス デシベル ノニ チョコ ムルデ ジャバ オパール ソワニ カノン カキラン ニズム ロード フィード シュルント ミードテ リニアック たてあな ランナ バギナ パイント ドスキン ヨーデル

引退後 [編集]
1969年7月場所、初日高見山に押し込まれ土俵際危ういところ叩き込みで辛勝。2日目麒麟児に吊り出しで敗れ、翌3日目には朝登に左ノド輪から一気の押し出しで連敗、引退を声明した。引退後は後援者らの薦めで後継指名をした師匠に背き、過去10人の柏戸は全員が伊勢ノ海部屋を継承した伝統を反故にし年寄鏡山として独立、自身の現役時代の戦場だった蔵前国技館最後の本場所となる1984年9月場所で優勝した多賀竜などを育てた。1996年12月8日、58歳で亡くなると鏡山部屋は元多賀竜の勝ノ浦が継承した。腎臓病の悪化は深刻で、亡くなる数年前には人工透析を受け続けた副作用で骨が弱くなり、大鵬に「おい、見てくれよ、脚こんなになっちゃったよ」と言っていたという。これを見たかつての好敵手は少しでもよくなるようにと考えてカルシウム剤を渡したという。

記者クラブ担当を経て審判部長を12年間も勤めたが、物言いの際に経過を説明しないとか旭富士の横綱昇進を中々答申しなかったり1993年5月場所千秋楽の若花田?小錦戦で明らかな差し違えなのに物言いをつけなかったりと素人筋からの評判は散々だった。ただし副部長在任時の若三杉?荒勢の一番で双方が待ったを連発した際には再三土俵下から大声で怒鳴りつけ終いには審判団全員が土俵に上がり両者に注意するなど待ったや立合いの焦らし、時間前の睨み合いなどには厳しい姿勢を見せた。強面でぶっきらぼうだが、前述の復活優勝の際のように涙もろくやさしい一面もあった。テレビ番組で娘の作文に涙したり長期休場期間中にリハビリで立ち寄った塩原温泉郷では地元の中学校を訪問し子供たちと遊びバレーボールやテニスを地元の学生と楽しむなど大変好かれたというエピソードもある。そして休場明けに優勝すると塩原に凱旋し中学校に優勝賜杯を模したカップを贈った。そのカップは40年以上を経た現在でも運動会の応援合戦の優勝チームの表彰に使われている。

妻は小結櫻錦の娘。

成績 [編集]
幕内在位:66場所 (小結2場所、関脇3場所、大関7場所、横綱47場所)
幕内通算成績:599勝240敗140休 勝率.714
横綱通算成績:407勝147敗140休 勝率.735
幕内最高優勝:5回 (全勝1回、同点2回)
年間最多勝:1966年(71勝19敗)、1967年(70勝20敗・大鵬と勝ち星が同数)
三賞:殊勲賞2回、敢闘賞2回、技能賞4回
各段優勝:十両1回(1958年3月場所)、幕下1回(1956年5月場所)

四股名変遷 [編集]
富樫 剛(1954年9月場所?1959年1月場所)
柏戸 剛(1959年3月場所?1962年3月場所、1964年11月場所?1969年7月場所)
柏戸 健志(1962年5月場所?1964年9月場所)

2009年03月17日

天龍寺

天龍寺(てんりゅうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)。寺号は詳しくは天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

天龍寺の地には平安時代初期、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(たちばなのかちこ、786?850)が開いた檀林寺があった。その後約4世紀を経て荒廃していた檀林寺の地に後嵯峨天皇(在位1242?1246)とその皇子である亀山天皇(在位1259?1274)は離宮を営み、「亀山殿」と称した。「亀山」とは、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることから、この名がある。天龍寺の山号「霊亀山」もこれにちなむ。

足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(後醍醐天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。尊氏は暦応元年/延元3年(1338年)、征夷大将軍となった。後醍醐天皇が吉野で死去したのは、その翌年の暦応2年/延元4年(1339年)である。足利尊氏は、後醍醐天皇の始めた建武の新政に反発して天皇に反旗をひるがえした人物であり、対する天皇は尊氏追討の命を出している。いわば「かたき」である後醍醐天皇の死去に際して、その菩提を弔う寺院の建立を尊氏に強く勧めたのは、当時、武家からも尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石であった。寺号は、当初は年号をとって「暦応資聖禅寺」と称する予定であったが、尊氏の弟・足利直義が、寺の南の大堰川(保津川)に金龍の舞う夢を見たことから「天龍資聖禅寺」と改めたという。寺の建設資金調達のため、天龍寺船という貿易船(寺社造営料唐船)が仕立てられたことは著名である。落慶供養は後醍醐天皇七回忌の康永4年(1345年)に行われた。

天龍寺は京都五山の第一として栄え、寺域は約33万平方メートル、現在の京福電鉄帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅あたりにまで及ぶ広大なもので、子院150か寺を数えたという。しかし、その後のたびたびの火災により、創建当時の建物はことごとく失われた。中世には延文3年(1358年)、貞治6年(1367年)、応安6年(1373年)、康暦2年(1380年)、文安4年(1447年)、応仁元年(1467年)と、6回も火災に遭っている。応仁の乱による焼失・再建後、しばらくは安泰であったが、江戸時代の文化12年(1815年)にも焼失、さらに幕末の元治元年(1864年)、蛤御門の変(禁門の変)で大打撃を受け、現存伽藍の大部分は明治時代後半以降のものである。なお、方丈の西側にある夢窓疎石作の庭園(特別名勝・史跡)にわずかに当初の面影がうかがえる。

方丈の北側には、宮内庁管理の亀山天皇陵と後嵯峨天皇陵がある。
マクロ ロード ナビビラ 地中海 フロー ワダン リグベーダ 探険隊 クロス テレキ シルエット メイン キュリーズ ファイト フロー ターキ 草競馬 ブロイ オフテン タオル ダイアリー ビルト ビヤマグ ビードロ ローシップ ウーマンパワー グルタチ ダクター ルテオリン マイムエ はだし ポルテ 百日紅 サイダー ミニカ プリンセス がんばる パーセント あばしり ショート スパル ましけ アジェンダ 氷河便利 シーベル フェイク アフタ フルーテ ドリンク トレンチ

伽藍 [編集]
境内東端に勅使門、中門があり、参道は西へ伸びている。これは、通常の禅宗寺院が原則として南を正面とし、南北に主要建物を並べるのとは異なっている。参道両側に塔頭(たっちゅう、山内寺院)が並び、正面に法堂、その奥に大方丈、小方丈、庫裏(くり)、僧堂、多宝殿などがあるが、いずれも近代の再建である。

勅使門?四脚門。境内寺内最古の建物で、桃山時代頃の様式をもつ。
法堂(はっとう)?禅寺の中心堂宇としては珍しい、寄棟造単層の建物で、1900年(明治33年)の再建。本尊釈迦三尊像を安置する。天井画の雲龍図は明治時代 鈴木松年によって描かれたが、傷みがひどかった為、1997年(平成9年)加山又造により八方にらみの龍の雲龍図が描かれた。
大方丈?1899年(明治32年)の建築。
小方丈?1924年(大正13年)の建築。
多宝殿?1934年(昭和9年)の建築。近代の建築だが、鎌倉時代頃の建築様式を用いている。後醍醐天皇の木像を安置する

文化財 [編集]

特別名勝・史跡 [編集]
庭園?曹源池(そげんち)を中心とした池泉回遊式庭園で、夢窓疎石の作庭。

重要文化財 [編集]
絹本著色夢窓国師像 徳済の賛あり
絹本著色夢窓国師像 暦応庚辰仲秋の自賛あり
絹本著色夢窓国師像 木訥叟(夢窓)自題あり
絹本著色観世音菩薩像 
絹本著色清涼法眼禅師像・雲門大師像
木造釈迦如来坐像
遮那院御領絵図
往古諸郷館地之絵図 
応永鈞命絵図 
東陵永璵墨蹟(「璵」は「王扁」に「與」) 
北畠親房消息

2009年03月01日

へろへろくん

面白い人が沢山住んでいると言う架空の町「ウキウキ町」である。
コレオ おいで リトリート 宵待草 バック レポーター デトネー ペラル なよろ ラファエロ タムシバ レーション かぜのよ フリンダ トーイン シナリオ セミコン ブザム サイド ノータ ノール フラット パワフ フリゲート ソナチネ ますか かでん ローデ あかだい ハーレム エーション バレリーナ ネオン テレビ クロミッ キウイ ワラチ 水色の 遠き旅路 グラス フロート ハバロ もろあう マアア キャパ ホマホ スコア バンビダ ワジナビ セゾン

へろへろ一家
へろへろ(声:川合千春)
この物語の主人公で、ウキウキ小学校に通っている。へろへろパパとへろへろママの長男で、へろへろジジとへろへろババの孫である。
誕生日は4月1日で、血液型はAB型。趣味はぼ〜っとすることである。好物はあんぱん。
常に萩本欽一の欽ちゃん走りのような「へろ〜ん へら〜ん走り」という独特な走り方をする。
パパとは仲良しで、食べ物や商品が出るとやる気なる所等がそっくりな似た者同士。
口の上にある2つの穴は鼻孔であり、目ではない。
とぼけた性格であり、他人の言葉を聞き違えたり、おかしな解釈をしてトラブルを引き起こし、周囲の気を抜かせ「う〜んとてもへろへろ〜」と言わせている。一方で、寝ぼけたときなどは頭の回転が速くなったり、問題を出されて「エイプリルフールだから嘘をついた」答えがすべて正解だったりと、予測のつかない行動で常に友達や周囲の人間を翻弄する。
ただし、「ウキウキ親子フェスタ」で行われたフリーマーケットでゴミと毛を売った時に客のハゲ親父に毛を3円で売った時は、ハゲ親父に喜ばれた上、感涙の涙を流された。
勉強はサッパリで、空手の「礼に始まり礼に終わる」を聞いて「僕に合ってるね」と言い、突きの練習をしていたバリバリに「何で?」と聞かれ「だって0に始まり0に終わったんだもん」と言い、バリバリからも「確かに頭はカラカラテ」と呆れられている程、全教科のテストで0点を取っている。へろへろ自身、0点を取ったと言う自覚は一応あるらしいが、先述の通り聞き間違いやおかしな解釈をする為、常に0点しか取れない。一度、30000点に点数を書き換え捏造するが、パパは「凄いぞへろへろ!!」と喜び、ママに至っては「額に入れて飾っておきましょう」と言う始末である。この事からかなり変わった両親の存在もへろへろが成績向上に至らない理由であろう。勿論、通知表も全教科しくしくマーク(5段階評価で言う所の1)と言う有様である。
字も下手で読みにくい訳ではないが、汚い。
食事中、食べ物が口に入りきらなかったり喋りながら食べている時は、鼻が口に繋がっているからだろうか鼻で食べている。「ウキウキ親子フェスタ」で行われたスシ大食い大会でも大量のスシで口に入りきらず、鼻でも入れて食べようとしたがあまりにも多量のスシ入れてしまい、処理しきれずへろへろは36皿、へろへろジジは42皿で呼吸困難に陥った。
常人は分かる事が分からず、米も炊く事も分かっていない。それが証拠に、生米でおにぎりを作ろうとし、失敗、終いには生米のまま食べて「お米が古くてくさってるんだね。だってすっごくかたいもん」と言っている。
また、場の空気を読まずに発言する事もしばしばである他、目上の人にもタメ口で話す等礼儀を知らない面もあるが、知らない人にもいきなり声をかける事もある等結構社交的である。
ときには常識では考えられないような不条理な行動も起こす。鼻水でハエを捕まえる、逆立ちして髪の毛を揺らして歩くなどだが、ジョジョ・デビデビ親子によるとそれぞれ超魔術ハナトビデルーン、カミノケアルキーンらしい。「ウキウキ親子フェスタ」での「ワクワク障害物レース」では、800度の熱湯を渡らなければならない所、尋常な熱さではなく常人では渡れなかったが、へろへろは息で熱を冷ますと言う初歩的なやり方で熱を冷まそうとしたが冷めず、足を入れたら熱すぎで驚いて上空に飛び上がり、直後針の山に落ちそうになった時、カミノケアルキーンで針の山を渡り、1位でゴールした。
単純なため調子に乗りやすく、思い込みが激しいところがある。前述の行動からジョジョ・デビデビ親子から「魔王様」と慕われたときも、すっかりその気になった。またテレビ番組『人助け野郎ジョン』に熱中し、ドラマの内容が本物と信じて疑わない。一方でとても純真で友達思い。しょっちゅうトラブルを引き起こしてはいるものの本人に悪意はないこと(とぼけた性格に由来する)から、へろへろを嫌う人間はほとんどいない。そのため友達が多く、交友関係はバリバリ、キラキラ、ゲロゲロをはじめとしたクラスメートほぼ全員。とりわけ、似たところのあるヘロボロボロットとは意気投合している。
バ仮面ヘロイダーに変装して、日夜(?)悪と戦っている。
『屁狼伝』のへろへろ
屁狼老師に学んだ絶対魔拳法の継承者。鍛えられた筋肉質の肉体を持つが、やはり頭は弱い。
『ヘロボットX』のへろへろ
父親の作り上げたスーパーロボット・ヘロボットXのパイロット。正義感の強い熱血漢。特に頭が弱いことを示す描写はなく、むしろ常識人。ヘロボロボロットを蹴るなど、乱暴なところがある。
へろへろパパ(声:松本保典)
へろへろの父親でへろへろジジとへろへろババの長男で、妻はへろへろママである。趣味はのびたヒゲをちり毛にする事と台所の流しに栓をして水を溜め、一気に流す事(最後の「きゅ〜」という音が聞きたいため)。またアニメでは釣具屋に釣具を買いに行く描写もある事から釣りも趣味であろう。仕事は、アニメで会社に出勤する描写がある事から会社員である。アニメでは一度、ママの化粧する様子を見て「面白い」と言う事だけで化粧をして出勤した事がある。その時は、へろへろも化粧して登校している。
息子のへろへろとは仲良しで、息子同様「へろーん へらーん走り」をしたり、同じような間違いを犯す。しかしながら、へろへろの間違いを指摘する場面も見受けられるため、へろへろより多少は常識があるようである。
へろへろに珍行動を起こした際に「全く、へろへろはあわてんぼうだなぁ」などと言っているが、結局のところ2人は似た者同士。
『ヘロボットX』のへろへろパパ
スーパーロボット・ヘロボットXや、ヘロボロボロット、スコッティーナなどのロボットを開発した科学者。しかし、なぜダンボール製のヘロボロボロットが動くのかは、本人も解っていない。
へろへろママ(声:堀越真己)
へろへろくんの母親で、夫は、へろへろパパである。一児の母とは思えない程スタイルがよく、家では何時もボディコンを着ている上、夏期の海水浴もビキニスタイルである。怒るとちょっぴり恐い。息子や夫同様「へろ〜ん へら〜ん走り」をする。
仕事は、ヤスヤススーパーでレジ係のパートで、遅刻していない事が自慢である。へろへろくんとへろへろジジのせいで一度クビになったこともある。
一家では義母に次ぐ常識人ではあるが、へろへろがテストの点数を30000点に捏造した際に「額に入れて飾っておきましょう」と言ったり、運動会に弁当を忘れて周囲の人に分けてもらったなど、抜けたところや天然なところも見受けられる。しかし、夫や息子の不始末を叱ることもある。
両親は未登場。
何時も車で出かけるときは運転をしている為、運転免許を所持している様である。
へろへろジジ(声:佐藤正治)
へろへろのお祖父ちゃんで、へろへろパパの父親であり、妻はへろへろババである。息子や孫同様に珍行動を起こしている。
特技は、鼻水で時計が作れることである。また、あるときから鼻血を出して秒針としている。また、
息子や孫同様の間違いをし、2人以上にとぼけている。若い女性が好きで、宝くじが当たった際に引っ越す予定にあった南の島のビーチでは若い女性が沢山見られるため、想像して「ピチピチねーちゃんみほーだい」と興奮するなどの面もある。へろへろ以上のトラブルメーカーで、祭りの金魚すくいでポイを最中と言って食べ、残った針金を金魚に刺して取ろうとしたりする。一緒に行くとお化け屋敷でさえ迷う。
へろへろやパパがまともな事を言っても、ジジがおかしな訂正をしてしまい、2人ともそのジジのおかしな訂正に納得してしまうという風に息子と孫を自分のペースに巻き込む。
以前は田舎暮らしをしていたが、今はへろへろパパ達息子家族と同居している。田舎で住んでいた家は鶏、牛、ウサギにあげた。
その鶏のコケ太郎に嫁が出来て卵が産まれた際、動物達は卵を見せにやって来た。だが、卵は海でウミガメの卵に紛れてしまい、今はそこから孵ったウミガメも動物達の家族に加わっている。見せに来た際は、何故か電車で来ている。しかし、どうして動物なのに切符が買えたのかとか何故動物なのに乗車出来たのか等は不明である。また、車内で牛はビールを飲んでいた。
夏季の海水浴は、ふんどしスタイルである。
コケ太郎が葉書に書いたニワトリ語を人間で唯一理解出来る。
『屁狼伝』のへろへろジジ(屁狼老師)
へろへろを見出し、絶対魔拳法を伝授した。へろへろ同様頭はよくない。「拳の心」を伝えるためなぞの主催者として拳法大会を開いた。
『ヘロボットX』のへろへろジジ(ボケジィ)
ウキウキ星征服をもくろみ、様々な手先を繰り出す悪役として登場。
へろへろババ(声:水原リン)
へろへろくんのお祖母ちゃんで、へろへろパパの母親で、夫はへろへろジジである。いつも夫のへろへろジジの起こす珍行動にあきれている。
何時もお茶を飲んでいる物静かな人間であり、家族の中で最も達観している。
海水浴に行った時もババだけいなかった為、親類の結婚式等の冠婚葬祭以外の外出時は家で留守番をしている様である。
パブパブ(声:水田わさび)
「パブパブ」という鳴き声で鳴く、ゾウとブタをかけあわせたかのような動物(実際に、初期の頃ゾウとブタのハーフと紹介されていた)。へろへろ家のペットだが、よく忘れられる。そのため、特上からだんだん出番が減っていき、めっちゃワールドでは、ほとんど登場しなくなった。木の板等を上手く使い、上に乗って家のインターホンを押して餌を要求したりする。

2009年02月11日

本作は一般にヒット作と称されるが、発売と同時にヒットしたのではなく、口コミやパソコン通信(インターネットは普及していなかった)を通じて広まっていったものである。
ルーズ リング このゆび セラピー マンタ ドッグフ リルック プッシュ ファンド 水晶パート キバナ ピラフ 時の雫 ドリブル トポス ミキシング ちょぼく ラリアン ブログ タティック リューマチ アーミン ラクターゼ ヨットレ ロケア ファイユ ラケット きつおん タービン マドン アルカイ ナビタラワ ブレザー ブルジ オルグゴン トラン ナビロト スキルア クロニ スタン オーバ リスク ドック サイト スティッ きくま パシフ チルバ カツ上 カウボーイ

本作がアダルトゲーム業界に与えた影響は小さくなく、ビジュアルノベルという形式を流布させたこと、また、固定ファン層を増やしたことなどは評価に値するものと思われる。が、泣きゲーの元祖ともいわれる作品ではあったものの、内容はダークな部分もかなり多かったため、発売されてすぐに広い層のプレイヤーに評価されたわけではなかったと言われる。

また、シナリオ以外にも、折戸伸治による音楽や、鳥のらによって作られた背景等は、当時としてはかなり質の高いものであり、本作に参加していたこれらのクリエーターは、Leafを離れ、Key等のブランドに移籍した後も業界で活躍している。[要出典]]]

折戸の作曲したトゥルーエンド曲(リメイク版でMOON PHASEに改題)は2006年に歌詞がつけられ『AQUA PLUS VOCAL COLLECTION Vol.4』に収録されている。

あらすじ
物語の舞台は一見普通の学園。しかしその裏側ではとんでもない事件が進行中であった。 授業中に卑猥な言葉を叫びながら発狂するクラスメート。深夜の学園に密かに集まる生徒達。 日常を嫌悪し「狂気」に憧れる長瀬祐介は、教師を務める叔父に事件の調査を依頼される。

登場人物
声が付いているのはDVDリメイク版のみ

長瀬 祐介(ながせ ゆうすけ)
主人公。17歳。内向的で妄想に耽ることを好み、狂気に憧れている。
後に発売された『初音のないしょ!!』ミニゲームでもイラスト付きで登場。その際の顔を脚本家の高橋は「かわいい系」と表現している。
新城 沙織(しんじょう さおり) 声:鷹月さくら
12月14日生(いて座)。血液型O型。
祐介と同学年の女子学生。17歳。バレーボール部に所属。性格は明るい。
月島 瑠璃子(つきしま るりこ) 声:一宮桜
祐介の元クラスメイト。17歳。祐介が密かに思いを寄せていた女子学生。
藍原 瑞穂(あいはら みずほ) 声:立花舞
祐介と同学年の生徒会書記。17歳。香奈子とは中学からの親友だった。
太田 香奈子(おおた かなこ) 声:今井かおる
祐介のクラスメイトで生徒会副会長。17歳。授業中に突然発狂し入院する。
長瀬 源一郎(ながせ げんいちろう) 声:旭剛
祐介の叔父で、舞台となる学園の教師でもある。38歳。学園で起こった事件の真相調査を祐介に持ちかける。
なお、雫以降のLeaf作品には、源一郎と類似する独特の雰囲気を持った「長瀬」の人間が頻繁に登場するようになる。Leaf作品の「お約束」の一つである。
月島 拓也(つきしま たくや) 声:田中大輔 / 少年時代:和泉あやか
祐介の上級生で前生徒会長。18歳。瑠璃子の兄。毒電波を発し、少女を奴隷のように扱う。瑠璃子に狂気的な愛情を抱いていた。
桂木 美和子 声:真琴のあ
生徒会役員。
吉田 由紀 声:秋月まい
生徒会役員。

スタッフ
脚本:高橋龍也
原画:水無月徹、比呂菊乃助(DVD版)
音楽:折戸伸治、石川真也、下川直哉

その他
旧版とリメイク版の違い
ボイスの付属。
原画を新規に書き下ろし。(旧版とは別人)
曲のアレンジ。
シナリオの設定変更による一部書き直し。
おまけシナリオの一部差し替え
リメイク版のシナリオは、コンピュータソフトウェア倫理機構の規約違反のため、旧版とは一部設定が異なる。その最たるものが近親相姦の描写が禁止となったことで月島兄妹が実兄妹から義兄妹へ変更されたことである。

尚、本作のおまけシナリオには、作成当時のスタッフと雫の登場人物がバトルするという話もあったが、リメイク版のときには退社していたスタッフもいたため削除された。エンディングのクレジットにも旧作スタッフの名前はのっていない。

大槻ケンヂ
本作品は、しばしば新興宗教オモイデ教(大槻ケンヂ著)との類似点を指摘される。作中に登場する「毒電波」の概念は新興宗教オモイデ教の「メグマ波」からヒントを得たものだと考えられ、その他にも確かに大槻作品から影響を受けたような形跡を見ることができる。

ライターの高橋龍也も本作に関して大槻ケンヂの作品を「下敷きにした」と認めている。

以下、確認できる類似点を挙げてみる。

『新興宗教オモイデ教』より
爆弾に憧れる主人公。
雫では、地球を破壊する爆弾の妄想に耽る主人公だが、
オモイデ教の主人公は学校を破壊する爆弾の妄想に耽る。
相手を操る超能力
雫では「毒電波」、
オモイデ教では相手を狂わせる宇宙線「メグマ波」を操る『誘流メグマ祈呪術』。
なお主人公に超能力の強い素質があり、同じ能力を持つヒロインをきっかけに能力が開花する様も同じである。
(オモイデ教内で「メグマ波」を「精神電波」と表現するくだりもある)
『くるぐる使い』収録作品より
近親相姦の描写
月島拓也と月島瑠璃子の近親相姦の描写をオモイデ教で出てくるゲストキャラの設定だと見る声もあるが、
近親相姦をきっかけに妹が発狂するくだりは「キラキラと輝くもの」及び「くるぐる使い」を下敷きにしたものである。
「キラキラと輝くもの」でも発狂した妹が宇宙からの「電波」という単語を口にしている。
(ただし超能力としての電波ではなく妹の妄想である)
また、2007年に発刊された『新興宗教オモイデ教外伝』(原田宇陀児・小学館ガガガ文庫)には、本作のオマージュと思しき要素が散見される(メグマ波を「毒電波」と表現するくだりなど)。著者の原田は、『雫』の二次創作小説同人誌をきっかけとしてLeafスタッフに見出され、『WHITE ALBUM』のシナリオライターに抜擢された人物である(ゲーム作品のシナリオライターとしては、この時点で既に他社作品でデビュー済み)。

5分でHシーン
サウンドノベルの手法でアダルトゲームを作るという前代未聞の試みについては、当初Leaf社内でも賛否両論が巻き起こった。協議の末、Leaf上層部からGOサインと引き換えに提示された条件は「開始5分でHシーンに辿り着けるようにせよ」というものであった。ゲームの形式はどうあれ、まずはユーザーが性的な欲求を手軽に満たせるものでなければ、アダルトゲームの市場には送り出せないという判断である。(1998年・TECH GIANインタビュー記事より)

その結果、本作では物語序盤の選択肢において捜査依頼を断るだけで簡単に性的描写を伴うシーンに辿り着くことが可能となっている。尤も、その内容は「主人公は無気力な暮らしのままに卒業の日を迎えるが、卒業式の最中に突如参加者全員が発狂し、『仰げば尊し』を合唱しながら乱交を繰り広げる」という衝撃的なバッドエンドである。

見方によっては苦肉の策とも取れる展開だが、その結末に至るまでの描写は物語全体に深みを与えるものとして、また本作の含む狂気性を最も端的に現す場面の一つとして、ユーザーの間では語り草となっている。

2009年01月24日

不明だったカメラアイ


オーナー スキャン マカダミ プレリ トリニダード ジャタン ミヤコサ コビット ラトビア ギナー サイプ シャッフル ネイル ガイア コナ最適 ネバダ ナビミュ 猫物語 たてにしき オート セネガ フローズン スーパ 秋のメルヘン ゼルオー ハルツーム はっく ハードル イタリック サクセス シャーク シート ハイオ キッチュ ロール シアーズ アカマ ジルバ サーズ リバー テーマ ディアム クッパ ねこふん ノーモア フェーズ プレイ さかい ファイ ビタミン
百式に於いて不明だったカメラアイは、この機体ではデュアルアイとして確認される。また背面のフレキシブルバインダーはウイングバインダーに変更された。固定武装として頭部にパルスレーザー、肩部にビームガン及びガトリングガンを新たに装備し、火力・オプション兵装ともに充実している。近年では肩部にパルスレーザー、携行武器としてビームガトリングガンを持つとする設定も多い。ちなみに、肩にはちゃんと「百改」と書かれている。型式番号は当初MSR-100S(MSR-00100S)とされていたが、一部にMSR-100やMSN-100Sとする表記も見受けられた。元々量産型百式改と変わらない番号だったため、近年ではMSR-100とする表記が増えている。「百一式」という名称で『機動戦士ガンダムΖΖ』に登場する予定だったが、結局元の百式が登場する事になったとする話もある。頭部デザインはΖガンダムの没案ラフに酷似している。

劇中での活躍
ゲームブック『シャアの帰還』では、宇宙世紀0090年の段階で連邦地上軍と編成されて間もない頃のロンド・ベルにそれぞれ配備されている。この時点でのロンド・ベル旗艦はエゥーゴから引き継がれたネェル・アーガマが就役していたが、そこに一機が搭載されていた。ストーリーの進行次第ではシャアがこの機体を奪取し搭乗する展開が用意されている。なお、配備状況からして後述する量産型百式改だった可能性も高いが、作中の表記は百式改である事と、パルスレーザーを装備していた事などからこの項で紹介した。

近藤和久の漫画『サイドストーリー・オブ・ガンダム・ゼータ』では、ティターンズにて中隊長を務めるシャアがこの機体を駆ってジオン残党狩りを行なっている。なお、本作は『Z』のアナザーストーリーであり、アニメ版とは若干異なる勢力構図と物語が展開されている。

フルアーマー百式改
バンダイの雑誌『SDクラブ』に連載された『大河原邦男コレクション』 (M-MSV) 及び漫画『シークレットフォーミュラ フルアーマー百式改』、『機動戦士ガンダムZZ 悪夢の戦場』に登場するMSである。百式改に増加装甲を装備した機体。(型式番号:FA-100S)

機体解説
火力は高いが運動性がやや低下している。固定武装として新たにメガ粒子砲、炸裂ボルトを装備。肩に増加装甲がついたため、胸部から肩に向けてついている放熱板に「百改」と書かれている。

劇中での活躍
漫画『シークレットフォーミュラ』作中では月面の工業都市イプシロンのアナハイム第38工場にて調整され、同じくイプシロンで建造されていたアイリッシュ級戦艦クークスタウンの竣工に合わせて配備される予定だった。情報漏洩により宇宙世紀0087年11月22日に予定されていた就役が20日に前倒しになるが、同日、イプシロン内の別工場で調整されていたティターンズ特務部隊所属の量産型サイコガンダムによって第38工場が襲撃に遭い、クークスタウンから派遣されたリック・ディアスと共に損傷してしまう。その後、応急処置が施され、別の場所で量産型サイコガンダムに襲撃されていたクークスタウンを救援に向かい、辛くも撃破した。パイロットはクークスタウン所属のクリフ・フレミング中尉。また、これと同一の機体だったかは断定できないが、『悪夢の戦場』では翌年に月の裏側でテストを行っていた姿が描かれている。同機は飛行中に行方不明となるが、その後所属不明のプロトタイプサイコガンダムによる無人コントロール下に置かれ姿を現し、同様にテスト飛行を行っていたプロトタイプΖΖガンダムと交戦した。

量産型百式改
『Ζ-MSV』に登場するMSである。(型式番号:MSR-100S (MSR-00100S))

機体解説
百式改の量産型。固定武装とウイングバインダーは廃止され、武装も標準的なものに変更された。実はバンダイの完成済みキット「ハイコンプリートモデル百式」を再発売した際に売れ残ったため、「百式改」の頭部と肩部をB-CLUBのガレージキットとして前述のHCMとセット販売を目的に販売され、それを元に設定された機体である。

陸戦用百式改
『大河原邦男コレクション』 (M-MSV) に登場するMSである。(型式番号:MSK-100S)

機体解説
カラバ所属のMSで、百式改を陸戦用に換装したもの。各所に防塵、防湿処理がなされ、森林や市街地などの他に短時間であれば水中でも運用が可能だったという。なお、金色ではなくグリーン系の塗装が施されている。

劇中での活躍
森田崇の漫画『機動戦士ガンダムΖΖ外伝 ジオンの幻陽』では、宇宙世紀0088年8月、ネオ・ジオンによる地球侵攻作戦において北米ニューヤーク基地防衛に使用された。なお、この機体はオプション武装の3連ミサイルポッドとビームキャノンを装備した重装型タイプである。パイロットはスパルナ・キャリバン大尉。

エプシィガンダム
月刊モデルグラフィックス別冊『GUNDAM WARS PROJECT Z』に登場するMS。(型式番号不詳)

機体解説
百式同様の可変試作機のフレームを新型推進システム開発用の素体として転用したMS。ロールアウトは百式と前後し、ε(エプシロン)ガンダムとして承認され、やはり非可変の機体として調整されている。外観的特徴に百式との共通点が多く、いわば兄弟機とも言える機体である。装甲材にガンダリウムεを採用している。詳細はεガンダムを参照。

忍者百式
機体諸元 忍者百式
型式番号 JF-100(TYPE-M)
所属 木星海賊
全高 19.2m
本体重量 33.6t
全備重量 72.6t
ジェネレーター出力 4,860kw
武装 クサリガマ「フウマ」
ツインビームサーベル「ヴァジュラ」
リアクティブ=クロウ
『SD戦国伝』シリーズとは別に、宇宙世紀の世界観上で展開された雑誌『コミックボンボン』のオリジナルストーリー『プロジェクトMUSHA』(1989年6月号掲載)に登場するMSである。(型式番号:JF-100(TYPE-M))

機体解説
木星の宇宙海賊掃討を目的として始動した連邦軍の「プロジェクトMUSHA」の機体群(武者νガンダム、武者ZZガンダム)に対抗すべく、宇宙海賊側がアナハイムのデータをもとに百式改を母体にして開発した機体である。偵察や破壊活動を専門に行う隠密行動用の機体である。超小型ジェネレーターを内蔵したダミーを6基装備し、ミノフスキー粒子の散布と併用することで「分身の術」を行う。この他、ハンブラビの装備「海ヘビ」を改良した鎖鎌状の装備「フウマ」などを武器として使用。

[ヘルプ]
^ 『機動戦士ガンダム 0083』にてガンダム試作一号機が相手のビームサーベルの剣戟をビームライフルで受け止めている(俗に「十手サーベル」と呼ばれる)描写により、ビームライフルの先にビームを固定展開する技術は『機動戦士Zガンダム』(0087年)以前に技術として確立している事となった。

関連項目
アナハイム・エレクトロニクス
Ζ計画
エゥーゴ
アカツキ - 『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』に登場するMS。耐ビーム特性を持つ金色の塗装や機体に描かれた漢字など、本機との共通点が多い。
100s - 中村一義が在籍する日本のロックバンド。本機を名前の由来とし結成当時は「百式」の表記だったが、のちに読みはそのままに現在の表記に改名。
2丁拳銃 - 吉本興業所属の漫才師。彼らの単独公演「百式」は「100分間ノンストップ漫才ライブ」の意味と、本機に肖ったものである事を公言している。

2009年01月17日

トゥラーンの将軍であったジムサの弟

トゥラーンの将軍であったジムサの弟。仮面兵団の兵士であったが、仮面兵団壊滅後もヒルメスに従い側近となる。ザンデに代わってヒルメスに仕える忠臣となる。ヒルメスはその忠誠心を高く買ってはいるものの、若年であり能力的にはまだまだ不足しているとして、これからの成長に期待している。
ドルグ

[第2部]
仮面兵団の一員で、中級指揮官の一人であったが、コートカプラ城で戦死。
クトルミシュ

[第2部]
仮面兵団の一員。初老の戦士。コートカプラ城の戦いでヒルメスとダリューンの一騎討ちを邪魔してしまい、ヒルメスによって討たれる。ヒルメスは思いがけず自らの行為に衝撃を受け、敵に背を見せて逃げ出すという予想外の行動に出る。
バラク

[第2部]
仮面兵団の一員であったが、仮面兵団壊滅後もヒルメスに従う。
アトゥカ

[第2部]
仮面兵団の一員であったが、仮面兵団壊滅後もヒルメスに従う。

[編集] バダフシャーン
カユーマルス
バダフシャーン公国最後の公王。パルスの王弟である大将軍アンドラゴラスに率いられたパルス軍によって首府ヘルマンドスが陥落した際に、塔から身を投げ自殺する。

絹の国(セリカ)
藍妃(ランフー)
パンチ ナビスパ キログラム ユーロ 風花 スマート ラビット リュクス リバー ナビピ スタチオ パラダイス 朝の山道 タイム すいば レバー クニカル ハイレ アーマー マレーシア まーこ ビフテキ 生かす マラケ 自然薯 ボック プラチナ ライフプ オマーン ドーハ 道しるべ オーガ うみわに ミーズ あかちゃ トロンボ 逢坂の関 スポッ シティ ミックス ドマーク ジニーメイ スプレッド はっさく フリート フォトン ブレード シアトー タイム ハウス


[東方巡歴]
太上皇(先代の51代皇帝)の愛人。隠居した太上皇に見初められ、男児を産む。
銅虎将軍(ドウコ)

[東方巡歴]
絹の国の将軍で黒い軍装をした鴉軍を率いる。年齢は30代中ばで、顔は赤銅色に灼け、太い眉と雷光に満ちた両眼を持ち、左頬には白く刀痕が浮き出ている。甲冑の色と同じ見事な黒鬚を持つ。若かりしダリューンが戦わずして敗北を認めた相手。
星涼(シンリァン)

[東方巡歴]
絹の国の公主。美しい女性で黒真珠のような瞳を持ち、名工が彫り上げたような秀麗な鼻と口をしている。娘子軍と呼ばれる女性だけの部隊によって護衛されている。ダリューンに会ったとき、影武者と入れ替わって「花冠将軍」と名乗っていた。
江南的四虎(チャンナン・タ・スーフー)

ファルハール
ムルク

[東方巡歴]
パルス使節団の通訳兼案内役。抜け目のない性格。年齢不詳(本人曰く「永遠の18歳」)の人物で鞠のような体格だが、体がたるんでいるわけではない。ファルハール語、パルス語、絹の国(セリカ)語に加えて、トゥラーン語、チュルク語、シンドゥラ語、ミスル語に長ける。金や銀よりも真珠を好み、内陸の塩湖で真珠貝の養殖を行う事が夢で資金集めをしている。

主な国家
パルス
物語の主な舞台である王国。大陸公路(現実世界のシルクロードにあたる)の中心に位置する国家。王都エクバターナは陸上交通の要衝で、その人口は公称100万という。東西を結ぶ大陸公路や南方の港町ギランに代表される港湾都市からの物資が集まり繁栄を謳歌している。現在の王朝は英雄王カイ・ホスロー以来300年余の歴史を誇り、第1部開始時点で第18代国王アンドラゴラス三世の統治下にある。大陸公路の要衝かつ豊かな国であることから諸外国より侵略を受けることが多いが、それを跳ね除けてきた強兵の国でもある。また、アンドラゴラス三世によって隣接するバダフシャーン公国を併合しさらに強国となっている。現実世界のゾロアスター教に相当する宗教が広く信仰されている(ただし、実際のゾロアスター教のような善悪二元論的な教義は見られず、より穏健な多神教であると思われる)。モデルはササン朝ペルシアのパルティア・安息国がモデルと思われる。著者曰く名前の由来はパールサ(ペルシア王朝勃興の地)が訛らせたもの。パルス語は大陸公路での公用語としての役割も果たしており、他国の人間ともこれを用いることで、ほとんどの場合、意思の疎通は可能である(中期イラン諸語のひとつであるソグド語がモデルと思われる)。その為、パルス人は外国語を覚えようとしないという弊害もある。
ルシタニア
パルスより北西の王国。貧しい国で豊かな土地を求めて遠征を行った。最初は同じ宗教であるイアルダボード教を信じる国ながら教義の異なるマルヤム(穏健な東方教会派)を攻め落とし、その後パルスに侵攻した。ルシタニアでは強硬派の西方教会が主流であり、一神教イアルダボート教以外の宗教を一切認めようとしない。用水路(カレーズ)への無理解などからモデルはおそらくレコンキスタ頃のイベリア半島とキリスト教で、国名のモデルもポルトガルの古名であるルシタニアと思われる。遠征の失敗によって主だった指導者を失い現在では荒廃し無政府状態になっている。またパルス遠征は言うまでもなく十字軍がモチーフ。特に第4回十字軍が東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを占領した事情に酷似している。例えば当時のパルスはアンドラゴラス三世が兄のオスロエス五世から王位を簒奪したのではないかとささやかれ、そのオスロエス五世の息子であるヒルメスが正当の王位を回復するためにルシタニアに協力を依頼するというものだが、史実でも当時の東ローマ帝国は皇帝アレクシオス三世が兄イサキオス二世から帝位を簒奪しており、イサキオス二世の息子であるアレクシオスが正当の帝位を回復するために十字軍に協力を依頼している。
シンドゥラ
パルスの南東に位置する王国で、カーヴェリー河がパルスとの国境となっている。北方でチュルク、東方ではモン族やシャン族と対峙している。王都はウライユール。夏の暑熱は厳しいが冬は過ごしやすい。虎や象が生息し、戦象部隊は周辺諸国からも脅威とされている。建国王はクロートゥンガ。歴史的に隣国パルスとは仲が悪く、建国後250年ほどしか経過していないにも関わらずパルスの暦年より1年多く暦を数えている程である(第1部開始時点でパルス暦320年、シンドゥラ暦321年)。ターバンを着用する者が多く見られる事から、国教のモデルはヒンドゥー教ではなくシク教と思われる。モデルはインド。国名はインドの古名「シンド」から。
マルヤム
パルスの北西に位置する王国。古い伝統を持つ国であり、ルシタニアと同じイアルダボート教だが、穏健派の東方教会派が多数派を占める。王都はイラクリオン。穏健な政治でパルスとも交易していたが、同じイアルダボード教の国であるが、強硬派の西方教会に属するルシタニアによって滅ぼされる。その後パルスを追われた大司教ボダンが一旦は政権を握るが、同じくパルスを追われたギスカールと覇権をめぐって争う。ギスカールが勝利し新王朝であるケファルニス朝をひらく。ルシタニアよりはマシであるらしいが、大して豊かな国ではない。モデルは東ローマ帝国と思われるが、実際の東ローマ帝国は西ヨーロッパがうらやむほどの栄華を残しており、作中のマルヤムほど貧しくは無い(史実の東ローマ帝国の富の原泉である絹が、この世界では東方の絹の国(セリカ)の特産になっているという事情によると思われる)。